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文明論之概略(福沢諭吉)其の7 紛擾雑駁

「紛擾雑駁の際に就て、条理のみだれざるものを求めんとすることなれば、文明の議論、また難しというべし」

「紛擾雑駁」な状況とは

福沢諭吉は、直前の三文で述べた「習慣の力」によって、人々の認識が混乱している状態を「紛擾雑駁」と表現しています。

紛擾(ふんじょう): 乱れ入り、ごたごたしていること。

雑駁(ざつぱく): 雑然として、筋道が立っていないこと。

なぜ状況が「紛擾雑駁」なのか

これは、「天然」と「習慣」が混同していることで生じる、認識の混乱と価値観の対立を指しています。

価値観の混乱:

ある人は古い習慣を「天然の道理」として絶対視し、別の人は新しい合理的な考えを「習慣」として取り入れたがっています。

この対立が、社会の議論を乱雑で筋道が立たない状態にしています。

論理の難しさ:

この状況では、条理(筋道、論理)を立てて「これこそが真の文明だ」と論じても、聞き手(読者)は自分の信じる「天然と誤認された習慣」の眼鏡を通してしか物事を見ないため、議論が通用しにくいのです。

まとめると?

習慣の力によって人々の認識が混乱し、価値観が乱雑に入り混じっている状況(紛擾雑駁)において、完璧に筋道の通った議論(条理のみだれざるもの)をしようとするならば、文明についての議論は、やはり難しいと言わざるを得ない。