半世紀男のゆるゆるセカンドライフ

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【働き方】「預ければ増える」が当たり前だった、狂騒の高金利時代を覚えているか?

前回の記事では、低金利を逆手に取ったローン戦略と資産形成について書きました。

しかし、さらに時計の針を巻き戻せば、今の若手には想像もつかないような「高金利というボーナスステージ」が存在していました。

投資の知識も、リスクを取る勇気もいらない。ただ「銀行に置いているだけ」で通帳の数字が増えていった、あの時代の記憶を紐解いてみようと思います。

1. 郵便貯金の定額貯金、驚異の「年利8%」

今、銀行の普通預金金利が0.0%台で推移しているのを見ると、隔世の感があります。 私たちの親世代が社会人の頃、郵便貯金の定額貯金(3年以上)の金利は、一時8%近くに達していました。

これがいかに異常なことか、今の感覚で計算してみると震えます。 1,000万円を預けておけば、1年で80万円(税引前)の利息がつく。10年も放置すれば、複利の力で元本は2倍以上に膨れ上がる。株式投資のリスクを負う必要など、どこにもなかったのです。

2. 「寝ている間にお金が増える」という実感

当時は、NISAもiDeCoもありませんでした。それでも、給料日の翌日に通帳を記帳しに行くと、そこには「利息」という名のお小遣いが確実に刻まれていました。

「お金に働いてもらう」という言葉がありますが、当時は銀行そのものが最強の運用機関でした。 「何もしていないのに残高が増えている」という安心感は、今の不透明な時代の若者が抱える「将来への焦燥感」とは全く別種のものでした。ただ真面目に働き、余った金を預ける。それだけで老後が約束されていた、極めてシンプルな時代だったのです。

3. 金利がもたらした「心の余裕」

 「退職金を定期預金に放り込むだけで、毎月の年金プラスアルファの生活費が出る」という計算が立ちました。

資産形成において「守り(貯金)」がそのまま「攻め(増資)」に直結していた。 この強固な土台があったからこそ、私たちは大きな不安なく、消費を楽しみ、子供を育て上げることができたのかもしれません。

4. 低金利時代との「対比」で見えるもの

もちろん、高金利時代には高金利なりのインフレや物価高もありました。 しかし、今の時代のように「資産運用を学ばなければ脱落する」という強迫観念はありませんでした。

今の若手が「高い初任給」をもらっても、それをどう増やすかに頭を悩ませ、投資詐欺や暴落に怯えているのを見ると、少し同情してしまう自分もいます。「通帳にお金を入れておくだけで、みんなが平等に潤った」あの穏やかな日々。それは、日本という国が右肩上がりだった証でもあります。

5. あの時代を知っているからこそ、今を動ける

金利の果実を味わい、その後のバブル崩壊と低金利時代を生き抜いてきた私たちは、ある意味で「金利の両端」を知る世代です。

お金を預けて増える喜びを知っているからこそ、投資の重要性も、金利の恐ろしさも身に染みてわかっています。 「何もせずとも増えていった時代」はもう戻ってきませんが、その時に築いた資産の種が、今の私たちの余裕に繋がっているのは間違いありません。

起業した今、通帳の利息欄を見ることは少なくなりましたが、あの時の「増える通帳」を見て感じた高揚感は、今でも私の挑戦を支える原体験となっています。

【働き方】若手の初任給アップに思う、私たちの「低金利・共働き・総力戦」という勝ち逃げ戦略

最近、ニュースを見ていると「初任給の大幅引き上げ」という景気のいい言葉が躍っています。

正直なところ、今の若手社員の給与明細を見て「いいな、羨ましいな」と思う瞬間はあります。私たちの時代には考えられなかったような金額が、社会人一年目から支払われているのですから。

しかし、ふと自分の歩んできた道を振り返ってみると、実は私たちは「最高に効率的な時代」を駆け抜けてきたのではないか、という思いが込み上げてきます。

1. 「低金利」と「税制」を使い倒したローン戦略

今の若者が高い給料をもらっていても、同時に直面しているのは「物価高」と「上昇し始めた金利」です。対して、私が現役バリバリだった頃は、歴史的な低金利時代でした。

私は、その恩恵をフルに活用しました。 若いうちに住宅ローンを組み、まだ安かった不動産を手に入れる。金利が低いからこそ、元金の返済は驚くほどスムーズに進みました。

ここで効いたのが「住宅ローン減税」の存在です。 低金利で借りているため、支払う利息よりも、税金で戻ってくる還付金の方が多い「逆ザヤ」状態。国からお金をもらいながら家を買っているような感覚でした。この還付金を生活費に消すのではなく、さらなる資産運用の種銭に回す。これが私の「最初の勝利」でした。

2. 「共働き」と「アベノミクス」による超速完済

当時はまだ「専業主婦」という選択肢も残っていましたが、私たちは迷わず「共働き」を選びました。 二人の収入を合わせることで、大きなローンも、一人の肩に全てを背負わせることなく、ダブルエンジンで猛烈な勢いで返済していきました。

住宅ローン減税の恩恵を最大限受けられる期間が終わる頃、私たちは貯まりに貯まった余剰資金で繰り上げ返済を行い、わずか10数年でローンを完済しました。

そして、その勢いを加速させたのが「アベノミクス」の到来です。 2012年末からの株価上昇。ローンという重荷が消えた直後のタイミングで、浮いた住居費を全て投資に回したことで、資産は複利の力で爆発的に増えていきました。

3. コロナショックで見せた「家族総力戦」の決断

資産形成において、最大のフィナーレとなったのは2020年のコロナショックでした。 世界中がパニックに陥り、株価がまたたく間に暴落していく中、私は確信を持って一つの大きな賭けに出ました。

それは、「家族全員分のNISA口座開設」です。

夫婦の口座はもちろん、当時はまだ制度として存在していた「ジュニアNISA」を使い、子供たちの分まで口座をフル稼働させました。 アベノミクスで投資の成功体験を得ていたからこそ、「暴落はギフトだ」と迷いなく動けたのです。共働きで蓄え、ローン完済で身軽になった家計の余力を、一気に市場へと投下しました。

結果として、その後の「コロナバブル」とも言える爆発的な株価上昇は、家族全員の資産を劇的に押し上げました。子供たちの教育資金は盤石になり、私たち夫婦の老後資金も、当初の計画を大幅に上回るスピードで積み上がったのです。

4. 退職金、そして「自分という資本」への投資

早期退職。 長年勤めた会社から退職金を受け取った時、それは単なる「ご苦労様代」ではなく、新しい人生のスタートアップ資金に見えました。

ローンは消え、住む場所は確保されている。子供の学費の心配もなく、手元には家族全員で勝ち取った運用資産と退職金がある。 この「圧倒的な余裕」があるからこそ、私は今、リスクを恐れずに「起業」という選択ができています。生活のために働くのではなく、自分の情熱のために働く。これこそが、私たちが目指した「人生の上がり」の姿です。

今の若手が手にする「高い初任給」は、今の物価高の中では生活を維持するための「防衛資金」に近い側面があります。 一方で、私たちが手にしたのは、時代の波を読み、低利で借り、減税を享受し、家族総出で運用し、最後に社会から卒業証書(退職金)をもらうという、一連の完成された勝利の方程式でした。

5. 「いい時代だった」と笑って言える幸せ

確かに、今の若者はスマートで、初任給も高い。 けれど、低金利の波に乗り、共働きで10数年でローンを消し、アベノミクスで加速し、コロナ禍の暴落を「家族全員のチャンス」に変え、退職金で第2の人生を謳歌する。この一連の流れを完璧にこなせたことは、一世一代のプロジェクトを成功させたような達成感があります。

若手の活躍を眩しく思いながらも、私は自分の歩んできたこの「戦略的な人生」を誇りに思っています。

「なかなか、いい人生じゃないか」

起業したばかりの新しい事務所で、家族の笑顔が映る写真を見つめながら、私は静かにそう確信しています。

文明論之概略(福沢諭吉)其の9 孟子の音楽論

「条理」とその議論における位置づけ

「条理(じょうり)」とは、物事の筋道や道理、論理的に正しい道筋を意味します。この概念は、彼が文明について議論する上での客観的な判断基準として求められました。

孟子と音楽論からの背景

「条理」という言葉は、直接の引用ではありませんが、中国の儒教、特に孟子の思想と通じています。

孟子の「万章篇」には、音楽の合奏が「はじめからおわりまで、大河の流れのように壮大で、整然と収束する」様子が描写されており、これは論理的な秩序(条理)をもって構成されたものの理想像を示しています。

福沢は、このような「乱れざる筋道」を、論理的な思考や議論の理想形として念頭に置いていたと考えられます。

福沢の議論における「条理」

福沢は、長年の習慣によって社会が「紛擾雑駁」(混乱)している現状において、「条理のみだれざるもの」(論理的に完璧な議論)を求めることの困難さを論じました。

要するに、福沢は「習慣」という非理性的な力に対抗し、日本を近代化に導くためには、理屈と論理(条理)を確立し、それに従って物事の是非を判断することが不可欠であると訴えたのです。

孟子「万章篇」

孟子』万章章句上にある、孔子がかつて師事した楽官との会話を記録した部分で、特に以下の表現が関連します。

「始(はじめ)て作(な)すは、翕如(きゅうじょ)たり。縦(ほしいまま)に之(これ)を広げ、之を発するに、灝々然(こうこうぜん)として、江河(こうが)の行(ゆ)くが如し。卒(おわ)りて之を収(おさ)むるは、斂如(れんじょ)たり。」

音楽の「条理」としての解釈

この一節は、孔子の音楽の演奏を評したものですが、音楽の「はじめからおわりまで筋道(条理)が乱れない」という表現と通じる、全体としての論理的な構成を示しています。

このように、音楽の始め・中・終わりが一貫して論理的な秩序(条理)をもって構成されている様子を描写しており、福沢諭吉が求めた「条理のみだれざるもの」という概念と、その具体的な秩序のイメージにおいて関連性が見られます。

福沢は、漢学の教養から、この「条理ある構成」の模範を、この孟子の音楽論から得ていた可能性が考えられます。

文明論之概略(福沢諭吉)其の8 多様性(diversity)と統一性(unity)

ギゾー(Guizot)の『ヨーロッパ文明史』には、「複雑多岐(多様性、diversity)」の中に「真の統一性(統一、unity)」を見いだすことの困難さを論じる一節があります。これはギゾーの歴史観の核となる部分です。

ギゾーの議論の要点:「多様性と統一性」

ギゾーは、ヨーロッパ文明が他の文明と決定的に異なる点として、その「複雑多岐な要素」と、それらが統合されていく「統一への動き」を挙げています。

複雑多岐な起源(Diversity)

ギゾーは、ヨーロッパ文明が単一の原理や要素から生まれたのではなく、複数の異なる社会の力が混ざり合うことで成立したと指摘します。

社会的な起源:ローマ帝国の遺産(自治、法律)、キリスト教会(精神的・道徳的権威)、そしてゲルマン民族(自由の精神、個人の独立)という、性質の異なる三つの要素が複雑に絡み合い、互いに争い、影響し合いました。

福沢諭吉との関連:福沢が「紛擾雑駁」という言葉で、天然と習慣、善悪が混じり合った日本の現状を表現したのと同様に、ギゾーはヨーロッパの起源が多様な要素の衝突から始まったと捉えました。

真の統一への困難(Unity)

この複雑多岐な要素から「真の統一性」を見つけ出すこと、すなわち、ヨーロッパ文明の共通の原理や本質を定義することは極めて困難だとギゾーは論じます。

彼は、他の古代文明(例:エジプトは神権政治ギリシアは民主政治)が単一の原理に基づいて統一されていたのに対し、ヨーロッパ文明は「すべての原理が並存し、常に争い、互いに抑え合っている状態」にあると分析しました。

進歩の源泉としての「葛藤」

しかし、ギゾーは、この困難で複雑な状態こそが、ヨーロッパ文明の「進歩の源泉」であると結論づけます。

異なる要素の絶え間ない衝突(葛藤)によって、停滞せずに常に新しい要素が生み出され、精神的な探求と自由が促進され、それが文明の生命力になっていると考えたのです。

福沢諭吉が、「習慣」という普遍的な力から、日本の「文明」の進むべき道筋を探ろうとしたのは、ギゾーがヨーロッパの「複雑な起源」から「文明の統一的な法則」を見いだそうとした営みと、その姿勢において共通しています。

文明論之概略(福沢諭吉)其の7 紛擾雑駁

「紛擾雑駁の際に就て、条理のみだれざるものを求めんとすることなれば、文明の議論、また難しというべし」

「紛擾雑駁」な状況とは

福沢諭吉は、直前の三文で述べた「習慣の力」によって、人々の認識が混乱している状態を「紛擾雑駁」と表現しています。

紛擾(ふんじょう): 乱れ入り、ごたごたしていること。

雑駁(ざつぱく): 雑然として、筋道が立っていないこと。

なぜ状況が「紛擾雑駁」なのか

これは、「天然」と「習慣」が混同していることで生じる、認識の混乱と価値観の対立を指しています。

価値観の混乱:

ある人は古い習慣を「天然の道理」として絶対視し、別の人は新しい合理的な考えを「習慣」として取り入れたがっています。

この対立が、社会の議論を乱雑で筋道が立たない状態にしています。

論理の難しさ:

この状況では、条理(筋道、論理)を立てて「これこそが真の文明だ」と論じても、聞き手(読者)は自分の信じる「天然と誤認された習慣」の眼鏡を通してしか物事を見ないため、議論が通用しにくいのです。

まとめると?

習慣の力によって人々の認識が混乱し、価値観が乱雑に入り混じっている状況(紛擾雑駁)において、完璧に筋道の通った議論(条理のみだれざるもの)をしようとするならば、文明についての議論は、やはり難しいと言わざるを得ない。

文明論之概略(福沢諭吉)其の6 習慣の久しき

「局所の利害得失に掩われて、その所見をあやまるもの甚だ多し」

言葉の意味

この文章は、全体を見るべきなのに、目先の小さな利益や不利益に気を取られてしまい、物事の正しい見方や判断を誤る人が非常に多い、ということを厳しく指摘しています。

局所の利害得失(きょくしょのりがいとくしつ):

ごく限られた範囲や、その場限りの小さな利益(得)と損失(失)。

に掩われて(におおわれて):

それが原因で覆い隠されてしまい、正しい判断ができなくなる状態。

その所見をあやまる(そのしょけんをあやまる):

物事に対する見解や判断を間違えてしまうこと。

もの甚だ多し(もの はなはだ おおし):

そのような人が非常に多い。

つまり、大局を見ることの重要性と、私利私欲や目先の損得勘定に囚われることの危険性を説いた言葉です。

所見(しょけん)とは

所見とは、物事を見たり聞いたりした上での、その人の意見や見解、判断を意味する言葉です。

例:「検査の結果、異常な所見は見られませんでした。」など

習慣の久しき

続く3文

「習慣の久しきにいたりては、ほとんど天然と人為とをくべつすべからず」

意味:習慣が長い間続いた状態になると、ほとんど自然に備わっている性質と、人が努力して作り上げたものとの区別がつかなくなる。

「あるいはその習慣とにとめしもの、かえって天然となることなきにあらず」

意味:「あるいは、それが習慣だと思っていたものが、かえって(後には)生まれつきの性質(天然)となることもないわけではない」

「あるいはその習慣と認めしもの、かえって天然となることなきにあらず」

意味:「あるいは、それが習慣だと見定めたものが、かえって生まれつきの性質(天然)となることもないわけではない」

どいういこと?

長年の習慣は、生まれつきの性質(天然)と人の努力(人為)との区別をほとんど不可能にする。そのため、人は天然だと思い込んでいたことが、実は単なる習慣であるという誤認をすることがある。逆に、習慣だと認識し努力したことが、やがて天然であるかのように強固に定着することもある、としておきましょうか。

当時の日本人が非合理的な古い習慣(封建的な考え方や制度)を「天然=当たり前のこと」だと信じ込み、新しい文明や合理的な考え方を受け入れることができない状態にあったから?

むずかしい…

文明論之概略(福沢諭吉)其の5 けだし

「けだし人の世に処するには」

この一文は、現代ではあまり使われない表現が組み合わさっています。

「けだし」(蓋し)

意味:思うに、きっと、おそらく、考えてみるに、そもそも

役割:文章の冒頭や、ある主張を始めるときに用いられる漢文的な書き言葉です。自分の考えや、一般的な真理だと考えることを述べるときの、「そもそも、考えてみれば~」といった語り出しの接続詞として使われます。

福沢はここで、文明論の根幹となる一般論を提示しようとしています。

「人の世に処する」(ひとのよにしょする)

意味:この世で生きていく、社会の中で自分の立場を持って行動する

「人の世」:人間社会、世間。

「処する」(しょする):ある立場や境遇に身を置くこと、その場に応じた対処や行動をとること。例:「適切に処する」「事に処す」

全体の意味

したがって、「けだし人の世に処するには」は、

「そもそも、考えてみるに、人がこの世(社会)で生きていくためには」

という意味になります。

福沢はここから、人が社会で生きていく上で、いかに「精神」や「知恵」の発達が不可欠であるか、という衆人発達論の具体的な主張へと展開していきます。

漢文的な表現の背景

「文語体」が公の文章の主流だった

明治時代初期、福沢諭吉が『文明論之概略』を書いた頃は、まだ「言文一致運動」(書き言葉を話し言葉に近づける運動)が本格化する前でした。

公的な文書や、学術・思想を論じる重要な書籍は、「文語体」と呼ばれる、平安時代などの古典的な日本語をベースにした書き言葉を使うのが主流だったのです。特に思想的な論説では、漢文の読み下し文の影響を強く受けた漢文調が権威ある文体とされていました。

「けだし(蓋し)」のような語句は、まさにその名残で、「そもそも」「考えてみるに」といった、議論の導入に使う格調高い表現でした。

志士たちの「話し言葉」と「書き言葉」

西郷隆盛坂本龍馬といった志士たちの日常の会話(話し言葉)は、もちろん現代の私たちが想像するよりもずっと素朴で、地域の方言(薩摩弁や土佐弁など)を交えた口語でした。

しかし、彼らが公の文書や議論(書き言葉)を交わす際には、漢文の素養が必要とされ、福沢のような漢文調の文体も使われていました。

例えば、龍馬が師匠の勝海舟西郷隆盛の印象を語った言葉は、その豪快な性格を表す口語ですが、正式な手紙や政治的な提言になると、文語体が用いられていたのです。

福沢の『文明論之概略』は、「日本の進むべき道」という重大なテーマを論じるために、最も権威のある漢文調の文語体を用いて書かれたもの、と捉えることができます。

この「文語体」の壁を乗り越えてこそ、福沢の時代に対する真剣な熱意が伝わってくるはずです。